第6章 文化財の総合的・一体的な保存・活用 本章では、文化財の総合的な保存・活用を進めるため、横浜の多種多様な文化財を、特定のテーマごとに捉えた「関連文化財群」と、 文化財が集中する特定の区域において、その周辺環境も含めて一体的に保存・活用を図る「文化財保存活用区域」について記述します。 1節 総合的・一体的な保存・活用 市域には、幅広い時代の多様な文化財が所在しています。これまでの文化財の保存・活用の取組は、法や条例に基づく文化財の指定・ 登録や、個々の建造物の活用、遺跡(史跡)の整備など、それぞれの分野において、文化財をいわば「点」として捉えたものが中心 でした。 本計画では、第5章で示した、文化財の保存・活用に関する施策に加え、本市の文化財や歴史文化の価値や魅力をさらに高め、効果的に 保存・活用を進めるため、市域の文化財を一体的に捉えた総合的な保存・活用にも取り組んでいきます。 取組を進めるにあたっては、市域の文化財や各地域の特性などをふまえて「関連文化財群」と「文化財保存活用区域」を設定します。 図6-1 関連文化財群と文化財保存活用区域 2節 関連文化財群 9つのストーリーと構成する文化財 1 関連文化財群の目的 関連文化財群とは、横浜の多種多様な文化財を歴史文化の特徴に基づくテーマやストーリーに沿って、一定のまとまりとして捉えたもの です。本計画では、この関連文化財群を設定し、それぞれがもつストーリーを通じて横浜の魅力や価値をわかりやすく示すことを目的 とします。 2 関連文化財群の設定の考え方 歴史文化の特徴と9つのストーリー 横浜市の歴史文化の特徴をわかりやすく伝えていくための手法として、「9つのストーリー」を設定しました。ストーリーによって、 市域に点在する文化財に一体性が生まれ、普及啓発や情報発信などを総合的・一体的にすすめることが期待できます。 図6-2 歴史文化の特徴と9つのストーリーの関連 9つのストーリーを構成する文化財 各ストーリーでは、そのストーリーを語る上で必要となる文化財を構成要素として設定します。構成要素の設定にあたっては、 次の1から3のいずれかを満たすものとします。本計画に記載する構成要素は、計画作成時(2023(令和5)年度時点)に抽出したもの を資料編に掲載していますが、今後行われる調査や、指定・登録等により、随時更新していくこととします。 構成要素として抽出する条件 1 文化財保護法や条例に基づく指定等文化財で、各ストーリーに関連性の高いもの 2歴史を生かしたまちづくり要綱に基づく認定歴史的建造物で、各ストーリーに関連性の高いもの 3上記1、2のように指定等の価値付けがされていないものの、調査等により、歴史的背景や価値、 存在が把握され、各ストーリーに 関連性が高いもの 9つのストーリーの分類 9つのストーリーを、時代、形成過程の種別で整理すると、次のようになります。 図6-3 9つのストーリー間の関係 ■1 海と川とともに暮らした先史から古代の人々 ストーリー 縄文時代の人々が貝殻を含む食料の残りや生活道具などを捨てたものが積み重なった遺跡である「貝塚」は、横浜でも多く発見されて います。横浜で発見された「貝塚」を訪れると、海から離れた場所であることに、多くの人が驚きます。これは、約7,000年前に地球 の温暖化で海水面が上昇したことで、海岸線が内陸に進入し、現在の港北区、都筑区、緑区、戸塚区にまでも海岸線が入り込んでいた ためです。その後の寒冷化で海は退き、弥生時代以降は、河川流域の沖積低地に水田が営まれ、生活の場が川沿いに移っていきます。 その後、川の流域ごとにできた集落が、政治的に統合されながら、古墳時代が始まり、やがて古代律令社会へと移行していきます。 横浜市では、「海」や「川」とともに暮らした先史・古代の人々の様子を、発掘調査によって発見された数々の遺跡から知ることが できます。また、国指定史跡である三殿台遺跡、大塚・歳勝土遺跡では、当時の集落が復元整備され、2,000年前の稲作開始期の歴史 を身近に感じることができる場所として市民に親しまれています。 ・貝塚からみた縄文時代の集落 横浜で最も古い縄文時代早期の野島貝塚では干潟に生息するマガキが主に出土することから、当時の平潟湾で多く採集されていたことが わかります。縄文海進以降、鶴見川流域の南堀貝塚に代表されるように墓域を中心として居住域が巡る集落が出現し、縄文時代中期の 環状集落へと展開していきます。縄文時代後期には集落が減少する中、平潟湾を臨む称名寺貝塚では埋葬された人骨が多数発見されて います。 ・稲作の伝播と農耕社会の成立 横浜では弥生時代中期に稲作が伝播し、集落が増加します。国指定史跡である三殿台遺跡と大塚・歳勝土遺跡は、稲作導入期の集落 景観が保存・復元され、市民の歴史学習に役立てられています。弥生時代後期以降、鉄器が普及して集落が激増し、市北東部の 日吉台遺跡群のような巨大集落へと拡大します。こうした中核地域に、古墳時代前期に南武蔵を治めた大首長の墓、観音松古墳が 築造されます。 ・河川流域ごとの政治統合と古墳の築造 古墳時代は流域ごとに政治領域が形成され、鶴見川下流域には観音松古墳や駒岡古墳群、鶴見川上流域には稲荷前古墳群や 朝光寺原古墳群、南西部の相模の領域には、上矢部富士山古墳や七石山横穴古墳群などが築造されています。これらの政治領域は のちの古代の郡の領域に発展しますが、このうち北西部の武蔵国都筑郡については発掘調査によって郡家跡が明らかになっています (長者原遺跡)。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 野島貝塚 市指定 遺跡(史跡) 縄文時代早期の遺跡。縄文時代早期後半に位置付けられる野島式土器の標式遺跡。 三ッ沢貝塚 市登録 史跡 縄文時代後期の遺跡。明治38(1905)年、 N.G.マンローによりトレンチ調査が行われる。 三殿台遺跡 国指定 遺跡(史跡) 縄文・弥生・古墳の三時代にまたがる集落の複合遺跡。 1961(昭和36)年という早い時期に全面発掘調査された、学史に残る横浜を 代表する集落遺跡。 大塚・歳勝土遺跡 国指定 遺跡(史跡) 港北ニュータウンの開発に伴って全面発掘調査され、稲作開始期の環濠集落がほぼ完全な形で発見された。 ・ 稲荷前古墳群 県指定 遺跡(史跡) 鶴見川上流域に築造された、古墳時代前期.後期の古墳群。珍しく様々な墳形が1つの古墳群 の中に集まっており、「古墳の博物館」と呼ばれた。 朝光寺原古墳群出土遺物一括 市指定 考古資料 朝光寺原遺跡の中に築造された5から6世紀の3基の大型円墳。甲冑や兜など武人的な性格を表す副葬品が良好な状態で出土した。 上矢部町富士山古墳出土品一括 市指定 考古資料 柏尾川流域に築造された後期古墳。人物埴輪など多くの形象埴輪が出土し、横浜の古墳の埴輪で最も充実した内容を備える。 七石山横穴墓群 市登録 史跡 横浜最南部のいたち川流域の横穴墓群。鎌倉地域に特徴的な棺室構造をもつ。7群75基を数える、横浜最大規模の横穴墓群。 元町貝塚 市指定 遺跡(史跡) アメリカ山公園内に良好な状態で保存されており、市内で、数少ない縄文時代前期から中期初頭にかけての貝塚として貴重。 師岡貝塚 市指定 遺跡(史跡) 縄文海進によって形成された古鶴見湾岸に分布する縄文時代前期貝塚群のうち保存状態が良好で、市域で類例の少ない中期前半の貝塚。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 発掘調査の成果を十分に活用できていない。 遺跡や史跡の公開に必要な施設・設備等の老朽化への対応、適切な維持管理が必要。 方針   先史から古代の人々の暮らしを、発掘調査等で発見された出土品や遺跡の公開、情報発信等を通じて、市民や来街者に分かりやすく伝えます。 発掘調査によって記録保存された遺構のデータや出土品を学校教育等で活用し、学びの充実につなげます。 遺跡や史跡の公開に必要な整備・維持管理を継続的に行います。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 2-1-1 、重点取組、 出土文化財の再整理 発掘調査等による出土文化財を適正に保管するため、出土文化財の再整理を進めます。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 3-3-1 保存(保全)活用計画の作成の推進 国史跡三殿台遺跡の保存活用計画の策定に向けて検討を進めます。 主体 所有、行政 参画 専門 実施期間 R6から11 6-2-1 市内の史跡等の公開・管理 国史跡大塚・歳勝土遺跡、県指定史跡市ケ尾横穴古墳群、県指定史跡稲荷前古墳群、南堀貝塚、上行寺東遺跡復元整備地等史跡等の 維持管理や必要な整備を行い、公開します。 主体 行政 参画 団体 実施期間 R6から11 6-3-1 文化財を活用した学校教育への支援 市内の発掘調査等による出土文化財、様々な文化財の活用を通じて、子どもが歴史文化を身近に感じ、学ぶ機会を創出します。 主体 行政 参画 専門、団体、教育 実施期間 R6から11 11-3-1 関連文化財群を活用した情報発信、広報 「海と川とともに暮らした先史から古代の人々」に関連する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財に ついての普及啓発と情報発信を進めます。 主体 行政 参画 所有、団体、 実施期間 R6から11(新) ■2 武家社会下の交易・交通と文化 ストーリー 12世紀から19世紀まで続く武家社会の中で、鎌倉が東国の中心地となった鎌倉時代、小机城(港北区)が小田原北条氏の支配下に入った 戦国時代、江戸が日本社会の実質的中心地となった江戸時代等、横浜市域は常に政治や経済の中心に近接し続けました。 各時代には、中心地と地方を結ぶ「道」(海の道、川の道、陸の道)や「駅」(津、河岸、宿場)が繁栄し、横浜でも、鎌倉時代は 鎌倉道や六浦津むつらのつ、室町・戦国時代には神奈川湊が盛んに利用されていきました。 その後、江戸時代に入り社会が安定したことで、東海道をはじめとする街道を多くの物や人が行き交い、経済や文化などが発展しました。 ・鎌倉開府による文化の伝播と六浦津を通じた交易・文化の隆盛 鎌倉開府以降、関東各地から鎌倉に向かう道は繁栄し、鎌倉と六浦津をつなぐ「六浦道 (金沢道 )」は、海を越えて人や物を鎌倉に 運びました。道や津は周辺地域にも様々な影響をもたらし、鎌倉北側の栄区や戸塚区、東側の金沢区など鎌倉道沿いには、平安末から 鎌倉初期の仏像彫刻や仏教絵画が多く伝わります。また鎌倉時代に金沢北条氏が創建した称名寺(金沢区)には、鎌倉時代以後も 国内外から僧侶や文化人が多く集い、学問と文化の拠点となりました。一方、鎌倉道は戦いの舞台にもなり、「畠山重忠古戦場(旭区)」 などが今に伝わります。 ・鶴見川流域に展開された城郭 15世紀半ば以降、戦乱の常態化する戦国時代に、鶴見川流域には茅ケ崎城(都筑区)をはじめとする多くの城郭が造られます。 中でも小机城は玉縄城(鎌倉市)等とともに、小田原北条氏の支配拠点の1つとなりました。小机城は、神奈川湊(神奈川区)から 神奈川道や鶴見川を経由して各地に物資が運搬される要衝に位置しており、小机城を中心とした領域は、小机領と称されて、現代に至る まで、小机三十三観音巡りなどの宗教文化として残っています。 ・江戸時代における街道・湊の発展と人々の賑わい 江戸時代の市域には主要幹線道路である五街道の1つの東海道、それに次ぐ脇往還の中原街道、矢倉沢往還が通っていました。各街道 には東海道の3宿(神奈川宿、保土ケ谷宿、戸塚宿)をはじめ宿場が置かれました。当初は政治的に整備された街道ですが、社会の安定 により交通、交易が活発になりました。湊であり宿場でもあった神奈川は、陸と海の交差点として発展し、開港期以降の横浜の礎と なりました。また、保土ケ谷宿からは名勝地金沢八景へ続く道が、戸塚宿付近では鎌倉や大山へ向かう道が分岐し、それぞれ道標が 残ります。矢倉沢往還は大山街道とも称され、大山に参詣する信仰・行楽の道となります。街道や宿場には庶民の旅文化を示す 文化財が伝わります。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 称名寺境内 国指定 遺跡(史跡) 金沢北条氏一門の菩提寺。北条実時が居館内に建てた持仏堂が起源といわれる。発掘調査成果と「称名寺絵図」を元に、平橋・反橋が復元 され、庭園の復元的整備が行われた。 朝夷奈切通 国指定 遺跡(史跡) 鎌倉七口の1つである峠道(道路遺構)。鎌倉と金沢(六浦津)をつなぐ。 絹本著色北条実時像、絹本著色北条顕時像、絹本著色金沢実顕像、絹本著色金沢貞将像、附 絹本著色顕弁像 国指定(国宝) 絵画 四将像の名で金沢北条氏の菩提寺、称名寺に伝わったもので、歴史上著名な武人の一門四代にわたる肖像画として、文化史的にもきわめて 価値が高い。 文選集注 国指定(国宝) 書跡・典籍 金沢文庫に保管されている、称名寺伝来の「文選集注」 19巻本。日本で平安時代に書写されたものとみられる。 茅ケ崎城址 市指定 遺跡(史跡) 15世紀後半に築城された。 1590(天正18)年の小田原北条氏滅亡とともに廃城となったとみられる。 小机城跡 遺跡(計画作成時点で想定できるもの) 正確な築城年代は不明。 1590(天正1 8)年、豊臣秀吉による小田原攻め後、徳川家康の関東移封によって廃城となる。 東海道戸塚宿見付跡 市登録 遺跡(史跡) 見付は宿の入り口の標識。市域に現存するのは上方見付のみ。 品濃一里塚 県指定 遺跡(史跡) 日本橋から9番目の一里塚で、保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に位置する。旧東海道をはさんでほぼ東西に2つの塚があり、地元では一里山と 呼ばれていた。 境木地蔵境内 市登録 史跡 東海道のうち保土ケ谷宿に属する。保土ケ谷宿・戸塚宿どちらからも難所の坂を登った先の平地に地蔵堂があり、憩いの場となって 地蔵信仰でにぎわった。地蔵堂は再建されたが昔の面影が残る。 長津田宿常夜燈 市登録 史跡 矢倉沢往還(大山街道)にある長津田宿にある。うち上宿常夜燈は1843(天保14)年に宿中の秋葉山講中によって、下宿常夜燈は、 1817(文化14)年に、宿中の大山講中によって建てられた。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 史跡の公開に必要な施設・設備等の老朽化への対応、適切な維持管理が必要。 方針 開港期以降の横浜の発展の基盤となった、12世紀から19世紀に続いた武家社会下の繁栄を、取組を通じてわかりやすく伝え、地域の歴史 文化を身近に感じる機会を創出します。 文化財と道を関連付けた取組等を通じて、地域活動の活性化につなげます。 記録保存された遺構のデータや出土品を、学校教育等に活用し、学びの充実につなげます。 史跡の保存・活用に必要な整備・維持管理を継続的に行うとともに、調査成果をふまえた保存・活用の方向性についての検討も進めます。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 2-4-1 小机城跡の保存・活用の方向性の検討 令和3年度、4年度に実施した小机城跡の発掘調査の成果をふまえ、今後の保存・活用の方向性について検討を進めます。 主体 行政 参画 所有、専門、市民、団体、教育 実施期間 R6から11 4-3-1 重点取組、 国史跡称名寺境内、国史跡朝夷奈切通の崖地対策工事等の実施 国史跡称名寺境内、国史跡朝夷奈切通の範囲内において、文化財的価値に配慮しながら、崖地の安全対策を計画的に進めます。 主体 行政 参画 所有、専門 実施期間 R6から11 6-2-2 国史跡称名寺境内の公開・管理 国史跡称名寺境内の維持管理や必要な整備を行い、公開します。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11 6-3-1 文化財を活用した学校教育への支援 市内の発掘調査等による出土文化財や、様々な文化財の活用を通じて、子どもが歴史文化を身近に感じ、学ぶ機会を創出します。 主体 教育、行政 参画 専門、団体 実施期間 R6から11 7-3(再) 地域の文化財を活用したイベント等の実施、散策ルートの設定や案内板の整備 地域の文化財を活かしたイベント等の実施、散策ルートの設定・活用や案内板の整備などを行います。 主体 団体、行政 参画 市民、団体 実施期間 R6から11 11-3-2 関連文化財群を活用した情報発信、広報 「武家社会下の交易・交通と文化」に関連する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発 と情報発信を進めます。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11(新) ■3 横浜開港 国際貿易港のあゆみ ストーリー 日米和親条約の締結地となった横浜村は、1859年7月1日(安政 6年6月2日)の開港をきっかけに、国際貿易都市として急速な発展を遂げ ました。開港場には、波止場を中心に運上所(税関)や町会所(行政機関)、銀行、外国商館などが次々と建設され、関内地区は横浜の 政治・経済の中心地として発展していきました。 開港当初、小さな二本の突堤から始まった横浜港は、明治時代に実施された二度の築港工事を経て、大正時代初めには鉄製桟橋や繋船岸壁、 船渠(ドック)、クレーンなどの近代設備を備えた港湾へと発展し、関東大震災後も拡張を続けました。 横浜港は、国内外の人・もの・文化が行き交う日本の玄関口となり、海外の様々な文物がもたらされる一方で、横浜写真や眞葛焼に代表 される横浜焼など外国人向けの土産物や工芸品も、横浜港から海外へ渡っていきました。 ・政治・経済の中心地、関内 国際貿易に携わる内外貿易商の商館や倉庫をはじめ、税関・行政機関・銀行などが建設された関内地区は、政治・経済の中心地として発展 します。これらの施設のうち横浜税関(1934(昭和9)年、市認定)、神奈川県庁舎(1928(昭和3)年、国指定)、旧横浜正金銀行本店 本館(現・神奈川県立歴史博物館、1905(明治38)年、国指定)などが現存するほか、横浜町会所(1874(明治7)年)の跡地には、 開港50周年記念事業として開港記念横浜会館(現・横浜市開港記念会館、1917(大正6)年、国指定)が建設されました。 ・波止場から近代港湾へ 国際貿易を支える港の機能は、開港当初の小さな波止場から、大正時代初めには、東洋一と称されるまでに大きく発展しました。幕末に 築造された象の鼻防波堤(2009(平成21)年復元)のほか、旧横浜船渠株式会社第一号船渠・旧横浜船渠株式会社第二号船渠 (1896から1898(明治29から31)年、国指定)、赤レンガ倉庫(1911(明治44)から1913(大正2)年、市認定)、旧臨港線護岸(市認定)、 ハンマーヘッドクレーン(1914(大正3)年)などの文化財が、当初の役割を終えたあとも商業施設や遊歩道などの形で活用されています。 ・横浜から世界へ 横浜は、西洋の技術・文化と在来の技術・文化が出会う場所でした。西洋の写真技術に伝統的な蒔絵や絵付けの技術が融合した「横浜写真」 は、海外への横浜土産として好評を博し、また芝山漆器や眞葛焼などの横浜独自の美術工芸品も花開いて、海外へと輸出されました。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 日米和親条約締結の地 市登録 史跡 1854(安政元)年にペリーが幕府と日米和親条約を締結した応接所の一帯。現在は開港広場として整備。 玉楠(日米和親条約締結の地に残るタブノキ) 市登録 史跡 横浜開港資料館の中庭に残るタブノキ。日米和親条約が締結された応接所近傍に所在し、二度の大火を経ながらその都度再生して現在に至る。 神奈川県庁舎 国指定 建造物 関東大震災で焼失した旧庁舎を再建。中央に寺院風の塔をもつ。横浜三塔の「キングの塔」。設計小尾嘉郎。 1928(昭和3)年竣工。 横浜税関本関庁舎 市認定 近代建築 関東大震災により先代庁舎が焼失したため現在地へ移転された、イスラム風のドーム屋根の塔をもつ税関庁舎。横浜三塔の「クイーンの塔」。 設計は大蔵省営繕管財局(担当:吉武東里)。1934(昭和9)年竣工。 横浜市開港記念会館 国指定 建造物 開港50周年記念事業として建設された煉瓦造の公会堂。横浜三塔の「ジャックの塔」。関東大震災の揺れにも耐え、平成元年に創建当時の ドーム屋根を復元。 1917(大正6)年竣工。 旧横浜正金銀行本店本館 国指定 建造物・遺跡(史跡) 貿易金融を専門として設立された銀行。現在の建物は 1905(明治3 8)年竣工の煉瓦造建築で角にドームを冠したネオバロック様式。 設計妻木頼黄。現在は神奈川県立歴史博物館として活用。敷地は国指定史跡。 旧長濱検疫所一号停留所(厚生労働省横浜検疫所検疫資料館) 国登録 建造物 日本の検疫施設最古の遺構の1つ。旧長濱検疫所の上等船客用の停留施設として1895(明治28)年に完成。 旧横浜船渠株式会社第一号船渠・旧横浜船渠株式会社第二号船渠 国指定 建造物 船舶の修繕施設として築造された2基の石造ドック。基本設計はイギリス人技師パーマーで、実施設計は恒川柳作。第二号船渠は一度解体 ののち現在地に再現したもの。 赤レンガ倉庫 市認定 近代建築 新港埠頭の保税倉庫として建設された2棟の煉瓦造倉庫。「赤レンガ倉庫活用事業について(方針決定)」にて「港の賑わいと文化を創造する 空間」と定め、 2002(平成14)年4月に文化・商業施設として生まれ変わった。1号倉庫は主に文化施設、2号倉庫は商業施設、2棟間広場は 倉庫と一体的な賑わいの演出空間として活用している。  横浜税関遺構鉄軌道及び転車台 市認定 土木産業遺構 かつての税関構内に敷かれていた荷役用の鉄道遺構。 1895から96(明治28から29)年に竣工したが関東大震災後に廃棄され、 2008(平成20)年 の象の鼻パーク整備中に遺構が発見され保全整備された。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 文化財の価値に応じた保存、価値に配慮した活用が必要。 方針 1859(安政6)年の開港を契機に国際貿易都市として発展を遂げた横浜港のあゆみを、市民や来街者にわかりやすく伝え、横浜の歴史文化を 身近に感じる機会を創出します。 多様な主体と連携した活用を進め、歴史を生かした都市空間の形成や賑わいの創出につなげます。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 8-1(再) 歴史を生かした都市空間の形成 歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史的建造物に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整を行い、個性と 魅力ある都市空間の形成を目指します。 主体 行政 実施期間 R6から11 10-1(再) 重点取組、横浜開港資料館における文化観光拠点としての機能強化 日米和親条約締結の地に立地し、約27万点の資料を収蔵する横浜開港資料館において、隣接する大桟橋、山下公園、元町・中華街などの集客 施設等と連携し、文化観光拠点としての機能強化を一層進め、「歴史文化」を観光資源として定着させることを目指します。 主体 団体、行政 参画 団体 実施期間 R6から11 10-3(再) 重点取組、横浜港に関する文化財を活用した賑わい創出 1859(安政6)年の開港を契機に、都心臨海部に集積する横浜港に関する文化財の活用を通じて、市民や来街者が、横浜港の様々な魅力に ついて、見て、触れ、学び、楽しめる機会を創出するとともに、街歩きを楽しみながら港の歴史を感じられる機会を創出し、港周辺の 回遊性を高めます。 主体 行政 参画 団体 実施期間 R6から11 11-3-3 関連文化財群を活用した情報発信、広報 「横浜開港」に関連する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を進めます。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11(新) ■4 シルクがもたらした繁栄 ストーリー 開港以降、明治期を通じて横浜の輸出貿易を支えたのが生糸でした。信州や上州を中心に各地で生産された生糸は、「絹の道」と呼ばれた街道 や鉄道を通じて横浜港へと運ばれ、国内の売込商たちを通じて海外へと輸出されました。生糸貿易は横浜発展の大きな原動力となり、生糸貿易 で財をなした実業家たちは、横浜の政治・経済・文化の各方面で影響力を持つようになります。 また生糸貿易の発展は、貿易に携わる実業家たちだけでなく、周辺部の農家にも大きな影響を及ぼし、鎌倉郡・橘樹郡・都筑郡など当時の郡部 では、明治10年代以降、養蚕や製糸が盛んに行われました。 ・生糸検査所とその関連施設 開港当初、産地から横浜へ運ばれた生糸は、国内の売込商を介して外国商館に直接持ち込まれていました。1896(明治29)年には、輸出生糸の 品質管理のため、国の機関である横浜生糸検査所が本町通りに設けられますが、関東大震災で被災してしまいます。震災後、生糸検査所とその 関連施設(事務所・倉庫)は北仲通に新築移転し、一帯は一大シルクセンターの様相を呈しました。現在、これらの施設の一部は、北仲通北地区 の再開発事業の中で保存・活用されています。 ・実業家原富太郎と三溪園 生糸貿易で財をなした実業家の一人が原富太郎(1868-1939)です。本牧三之谷(中区)の地に設けた自邸の庭園に、京都や鎌倉などから 古建築を移築し、1906(明治39)年に「三溪園」として市民に公開しました。現在、臨春閣や聴秋閣などの国指定重要文化財をはじめ、 17棟の古建築が点在しています。また三溪の雅号をもつ原は、自らも美術品を蒐集し、若い美術家たちの活動を支援するなど、近代日本の 芸術文化の振興に大きな役割を果たしました。 ・周辺郡部への養蚕・製糸業の広がり 生糸貿易の発展により、当時の郡部(鎌倉郡・橘樹郡・都筑郡)の農家では、養蚕や製糸が盛んに行われるようになりました。瀬谷区・泉区など には、養蚕・製糸業に携わっていた農家の古民家や蚕の供養塔など、当時の郡部への生糸貿易の影響を示す養蚕関係の文化財が残されています。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 旧横浜生糸検査所附属倉庫事務所 市指定 一般建造物 震災後に北仲通に建設された横浜生糸検査所の関連施設群の1つ(事務所棟)。一連の施設と同じく、設計は遠藤於菟。 三溪園 国指定 名勝地(名勝) 実業家原富太郎が本牧三之谷の広大な邸内に整備した庭園。園内には京都や鎌倉から古建築が移築された。「三溪」は富太郎の雅号。 臨春閣 国指定 建造物 1649(慶安2)年に建設された紀州徳川家の巌出御殿と推定される数寄屋風書院造の秀作。大阪に移築されていたものを、1917(大正6)年に 三溪園に移築。 聴秋閣 国指定 建造物 1623(元和9)年に二条城内に建てられ、のちに春日局に与えられたとされる楼閣建築の秀作。 1922(大正11)年に三溪園に移築。 旧燈明寺三重塔 国指定 建造物 1914(大正3)年に京都の燈明寺(現・木津川市)から移築。 1457(康正3)年建築で、三溪園内の古建築で最も古い。 旧東慶寺仏殿 国指定 建造物 縁切寺として知られる鎌倉の東慶寺にあった禅宗様の仏殿。江戸時代初め頃の建設。 1907(明治40)年に三溪園へ移築。 旧原家住宅 市指定 一般建造物 原三溪の自邸として1902(明治35)年に建築。若い芸術家たちの創造の場としても利用された。 2000(平成12)年に「鶴翔閣」として復元整備。 白雲邸 市指定 一般建造物 原三溪が夫人と暮らす隠居所として 1920(大正9)年に建築。鉄筋コンクリート造の倉が併設される。 旧清水製糸場本館(天王森泉館) 市認定 古民家 市内に残る唯一の製糸工場の遺構。元は清水一三が興した清水製糸場の本館として 1911(明治 44)年に竣工。この一部が移築され住宅となって いたが、 1995(平成7)年に市が譲り受け屋敷地全体を公園として整備した。 蚕御霊神塔 市登録 有形民俗 泉区の神明社内にある石造の慰霊碑。養蚕農家が蚕の供養として建てたもの。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 歴史文化を身近に感じる機会の創出が必要。 貴重な和の資源である三溪園において、新たな活用への需要が高まっている。 三溪園等、ストーリーを構成する文化財の老朽化から、将来世代への継承という観点で長期的な視点での維持管理が必要。 方針 生糸貿易の発展がもたらした繁栄に関する文化財をストーリーとともに一体的に捉え、市民や来訪者にわかりやすく伝えます。 古民家の公開や三溪園内での取組を通じて、横浜の歴史文化を身近に感じる機会や魅力を創出しながら、文化財を次世代に継承します。 貴重な和の観光資源である三溪園を磨き上げ、国内外からの誘客を促進します。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 8-4-1 公園内における歴史的建造物の公開・活用 旧清水製糸場本館を公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる機会を創出します。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 10-4(再) 重点取組、三溪園における観光資源としての磨き上げ 17万5千平米に及ぶ園内に、国の重要文化財等の歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置され、国の名勝にも指定されている「三溪園」に おいて、季節に応じた催事の創意工夫や新たな魅力創出などに取り組み、観光資源としての磨き上げを行います。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 11-3-4 関連文化財群を活用した情報発信、広報 「シルクがもたらした繁栄」に関する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての普及啓発と情報発信を 進めます。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11(新) ■5 コスモポリタン都市 文化の交差点 ストーリー 開港をきっかけに、横浜には国内外から多くの人々が移り住みました。 外国人の居住と商売が認められた外国人居留地には、欧米諸国や中国から人々が進出しました。山下居留地には各国の商館が 建ちならび、華僑の人々が集まり住んだ一画には、中心に関帝廟が設けられ、現在の中華街へと大きく発展しました。そして 欧米系外国人の住宅地として発展した山手居留地では、彼らのコミュニティを支える諸施設(教会・学校・病院・墓地・公園 など)が整備されました。 彼らの暮らしを通じてもたらされた海外の芸術・文化からは、様々な「もののはじめ」が誕生し、横浜から国内へと広がって いきました。 ・居留外国人たちのコミュニティ 居留外国人の住宅地として発展した山手居留地には、公園(山手公園、1870(明治3)年)や墓地(横浜外国人墓地、1861 (文久元)年)、病院(ジェネラル・ホスピタル、1867(慶応3)年)、学校(フェリス・セミナリー、1875(明治8)年) などが整備され、山手から続く根岸の丘には、社交場として競馬場(根岸競馬場、1866(慶応2)年)が設けられました。 当初山下居留地に設けられていた教会(カトリック教会、1861(文久元)年12月)や劇場(パブリックホール、1870(明治3) 年)も、明治半ばには山手へと移転します。これらの施設が建ちならぶ文教地区としての山手の景観は、震災等の被害を経な がらも、現在まで継承されています。 華僑のコミュニティを支える施設では、中国人墓地である中華義荘に地蔵王廟(1892(明治25)年)が現存しており、中国系 の建築・工芸技術を伝えています。また戦後の1955(昭和30)年に、中華街で最初の牌楼(善隣門)が建てられ、ここに掲げ られた「中華街」から現在の街の呼び名が定着しました。 ・横浜もののはじめ 海外文化の窓口となった横浜では、洋画・音楽・演劇などの芸術、テニス・競馬などのスポーツ、西洋料理・ビールなどの 食文化など様々な分野で「もののはじめ」が誕生しました。これらの文化が摂取される過程では、堤磯右衛門による石けん 製造のように、国産化されて広まったものもあります。 ・海外生活を支えた領事館 多国籍の人々が暮らす横浜には、海外での自国民の暮らしを支える各国の領事館施設が集まっていました。そのうち震災後に 建てられた旧英国総領事館(現・横浜開港資料館旧館、1931(昭和6)年)や、英国総領事の住まいである総領事公邸 (現・横浜市イギリス館、1937(昭和12)年)などが現存しています。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 ブラフ18番館 市認定 西洋館 関東大震災後の1 924(大正1 3)年に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏邸。 1992(平成4)年 に山手イタリア山庭園内に移築復元。 ベーリック・ホール 市認定 西洋館 英国人貿易商ベリック氏の自邸として J.H.モーガンの設計で1 930(昭和5)年に建てられた、スパニッシュスタイルの 西洋館。山手の洋館では最大級の規模で、クリーム色の壁面やアーチ・飾り窓等が特徴。 2002(平成14)年から元町公園 の一部として公開。 山手111番館(旧ラフィン邸) 市指定 一般建造物 アメリカ人両替商のラフィン氏邸。設計者モーガンが得意としたスパニッシュ・スタイルの西洋館。 1926(大正15)年竣工。 横浜市イギリス館 市指定 一般建造物 イギリス総領事の公邸として1 937(昭和1 2)年に竣工。鉄筋コンクリート2階建て。設計は上海の大英工部総署。 山手公園 国指定 名勝地(名勝) 1870(明治3)年に居留外国人によってつくられた洋式公園。テニス発祥の地となったほか、国内で初めてヒマラヤスギが 植えられた。 旧根岸競馬場一等馬見所 建造物(計画作成時点で想定できるもの) 居留外国人たちの社交場として根岸に設けられた競馬場の馬見所。現存する馬見所は1929(昭和4)年にモーガンの設計に より再建されたもの。2棟の馬見所のうち1棟が残る。 地蔵王廟 市指定 一般建造物 華僑の墓地である中華義荘内に建てられた煉瓦造の廟。外壁には、螞蝗攀(まこうはん)と呼ばれる中国流の鋲が各所に打ち 込まれる。 1892(明治25)年竣工。 ビール製造発祥の地(ビール醸造所跡) 市登録 史跡 明治3年に設立されたビール醸造所であるスプリング・ヴァレー・ブルワリーの跡地。現・横浜市立北方小学校内。 横浜開港資料館旧館(旧横浜英国総領事館)及び旧門番所 市指定 一般建造物 英国工務省の設計で建てられた旧英国総領事館。 1931(昭和6)年竣工。旧門番所もあわせて現存。 ヘボン邸跡 市登録 史跡 ヘボンは幕末開港期に来日したアメリカ人。医師、宣教師、教育者として文明開花の日本に貢献。横浜居留地39番の邸跡に 記念碑がある。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 まちづくり等と連携した取組が必要。 西洋館に代表される歴史的建造物の減少への対応が必要。 方針 開港を契機に、海外文化の交差点として発展した歴史を、市民や来街者にわかりやすく伝えます。 歴史を生かしたまちづくり等とも連携し、山手地区や関内地区の歴史的な建造物等の保存・活用を進め、歴史的な景観形成、 魅力の維持向上を進めます。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 8-1(再) 歴史を生かした都市空間の形成 歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史的建造物に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整 を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。 主体 行政 実施期間 R6から11 8-4-2 公園内における歴史的建造物の公開・活用 西洋館などの歴史的建造物を、民間の活力を活用しながら公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる 機会を創出します。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 10-1(再) 重点取組、横浜開港資料館における文化観光拠点としての機能強化 日米和親条約締結の地に立地し、約27万点の資料を収蔵する横浜開港資料館において、隣接する大桟橋、山下公園、 元町・中華街などの集客施設等と連携し、文化観光拠点としての機能強化を一層進め、「歴史文化」を観光資源として定着 させることを目指します。 主体 団体、行政 参画 団体 実施期間 R6から11 11-3-5 関連文化財群を活用した情報発信、広報 「コスモポリタン都市.文化の交差点.」に関連する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財に ついての普及啓発と情報発信を進めます。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11(新) ■6 近代都市を支えたインフラストラクチャー ストーリー 横浜は、道路、上下水道、ガス、鉄道など都市インフラの整備において、国内の他都市に先行して近代技術が導入されて きました。 1866(慶応2)年の大火事(慶応の大火)を受けて、幕府は外国人居留地の改造計画に着手し、この計画は技師ブラントン の手によって、日本大通りや横浜公園として実現します。また1872(明治5)年には、日本で初めての鉄道が新橋.横浜間で 開通し、横浜の街にガス灯が点灯しました。そして1887(明治20)年には、技師パーマーの設計により、鉄管給水による 日本初の近代水道が創設されます。 洋風建築が多く建てられた横浜では、建設材料の近代化も進みました。山手居留地では、実業家ジェラールが煉瓦や西洋瓦 の製造販売を手がけ、中でもジェラール瓦と呼ばれた西洋瓦は横浜や東京を中心に流通しました。 ・ブラントンと都市インフラの近代化 近代都市横浜の発展を支えたのは、近世の新田開発によって生まれた吉田新田でした。開港以降、多くの商人・職人や 港湾労働者が移り住んだ横浜は、港の後背地に広がる新田を埋め立てることで市街地を拡大し、現在の関内・関外が形成 されました。 関内地区の原形は、明治時代初めに形づくられます。技師ブラントンの設計により、外国人居留地にマカダム舗装道路 (砕石を締め固めて舗装した道路)と下水道が整備され、さらに防火道路である日本大通りと横浜公園が完成することで、 これらを境に外国人居留地と日本人市街が二分される都市構造が生まれました。 ・文明開化のまちづくり 1872(明治5)年10月14日、日本で最初の鉄道が新橋.横浜間に開通し、同じ年の10月31日、日本で最初のガス会社が横浜で 操業を開始し、横浜の街にガス灯がともされました。この2つの事業に関わっていたのが、実業家の高島嘉右衛門です。 高島は鉄道用地の埋立てやガス工場の建設を手がけるなど、文明開化期の横浜のまちづくりに大きな役割を果たしました。 その功績は高島町や高島台などの地名に残されています。 ・横浜生まれの西洋瓦 幕末に横浜で開業したフランス人実業家のジェラールは、山手の湧き水をもとに船舶給水事業を興すとともに、建設材料で ある煉瓦や瓦、土管などの製造販売を手がけていました。中でも洋風建築の屋根瓦として用いられた西洋瓦(ジェラール瓦) は、横浜や東京を中心に流通していたことが、出土遺物等から判明しています。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 日本大通り 国登録 名勝地 1866(慶応2)年の大火で日本人街から外国人居留地へ燃え広がったことを受け延焼遮断帯として整備された国内初の西洋式 街路。設計はR.H.ブラントン。 2002(平成 14)年に再整備され、歩道拡幅やストリートファニチャー設置等が行われた。 横浜公園 国登録 名勝地 ブラントン設計。居留外国人と日本人の双方が使用できる「彼我公園」として整備。 旧横浜居留地煉瓦造下水道マンホール 国登録 建造物 明治10年代半ばに神奈川県技師三田善太郎の設計により外国人居留地に敷設された煉瓦造下水道設備の1つ。 ジェラール水屋敷地下貯水槽 国登録 建造物 瓦製造業と船舶給水業を営んでいた実業家ジェラールの瓦工場に設けられていた煉瓦造の地下貯水槽。 近代水道発祥の地(日本最初の貯水場跡 ) 市登録 史跡 技師パーマーの設計により近代水道が開通した際に建設された野毛山貯水池の跡地。現・野毛山公園内。 日本最初のガス会社跡 市登録 史跡 実業家高島嘉右衛門が興した横浜瓦斯会社の跡地。現・横浜市立本町小学校に所在。 旧臨港線護岸 市認定 土木産業遺構 明治初期に横浜駅(現・桜木町駅)と新港埠頭をつなぐ臨港貨物線を渡すために建造された人工島。 1910(明治43)年竣工。 1997(平成9)年に遊歩道「汽車道」として整備。 港一号橋梁・港二号橋梁 市認定 土木産業遺構 7の臨港貨物線の人工島を渡すための鉄道橋。 1907(明治40)年にアメリカン・ブリッジ社により製作され、 1909(明治42)年に架設された。 1997(平成9)年に遊歩道「汽車道」の一部として活用するよう整備。 港三号橋梁(旧大岡川橋梁) 市認定 土木産業遺構 元は1 906(明治3 9)年に北海道の夕張川に架設された橋梁。旧横浜生糸検査所の引込線架設に伴い1928(昭和3)年に 大岡川へ移設された。 1997(平成9)年の遊歩道「汽車道」整備に際し、現在位置へ移設保全された。 吉田橋関門跡 市登録 史跡 1869(明治2)年にブラントンの設計により開港場への関門として架けられた鉄橋「吉田橋」の跡地。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 まちづくり等と連携した取組が必要。 方針 国内の他都市に先行して近代技術が導入され、近代都市の基盤となった歴史を、市民や来街者にわかりやすく伝えます。 歴史を生かしたまちづくり等と連携し、歴史的な景観形成、魅力の維持向上を進めます。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 8-1(再) 歴史を生かした都市空間の形成 歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史的建造物に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整 を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。 主体 行政 実施期間 R6から11 11-3-6 重点取組、関連文化財群を活用した情報発信、広報 「近代都市を支えたインフラストラクチャー」に関連する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財 についての普及啓発と情報発信を進めます。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11(新) 7 焼け跡から二度よみがえった都市 ストーリー 横浜は、1923(大正12)年の関東大震災、1945(昭和20)年の横浜大空襲という二度にわたる災禍を乗り越えて、発展して きました。 関東大震災では、開港以来の街並みが一日にして瓦礫の山と化しましたが、その後の震災復興事業と「大横浜」建設事業を 通じて、昭和戦前期には現在の市域につながる広域な都市の骨格が形成されます。都心部では耐震性と耐火性を備えた鉄筋 コンクリート造の復興建築や復興橋梁の建設が進み、周辺部では鉄道各社の沿線開発によって郊外住宅が広がりました。 1945(昭和20)年の終戦後、中心部の施設の多くが占領軍による接収を受けたことで、横浜の戦災復興は大きく立ち遅れます が、昭和30年代には、国内の高度経済成長を背景に、横浜開港100周年を契機としてマリンタワーや横浜市庁舎、横浜文化 体育館など公共施設の建設が進みました。 ・震災復興遺産 区画整理・街路整備・公園新設などからなる震災復興事業では、都心部の多くの建築が鉄筋コンクリートで復興され、横浜の 都市景観を一変させました。現在横浜港周辺に残る多くの歴史的建造物は、この震災復興の時代に建てられたものです。 1927(昭和2)年には、貿易再興のための外国人ホテルとしてホテルニューグランドが開業し、1930(昭和5)年には、 震災の瓦礫を埋め立てて造成された山下公園が開園しました。 ・郊外住宅の誕生 昭和戦前期には、横浜駅が現在地へと移転したことを契機として、私鉄各線が横浜駅への乗り入れを果たし、横浜駅を起点に 郊外へと路線網を拡大します。沿線では住宅地開発が行われ、郊外から都心へ通勤するサラリーマン層の生活様式が確立する とともに、一間洋館を備えた郊外住宅が広がっていきました。 ・戦後の建築遺産 昭和20年代後半から徐々に接収解除が進む中、関内・関外地区では、街区全体の防火性能を高める防火建築帯(共同住宅+ 店舗・事務所)の建設が進みました。現在、これらは横浜固有の戦後建築遺産として、アーティストの活動拠点として活用 する芸術不動産事業の取組が進められています。また戦後の露店商収容施設として建設された野毛都橋商店街ビル (1964(昭和39)年)は、戦後建築として初めて横浜市の歴史的建造物に登録されました。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 山下公園 国登録 名勝地 関東大震災の瓦礫を埋め立てて造成された震災復興公園。日本最初の臨海公園。 1930(昭和5)年開園。設計内務省復興局。 野毛山公園 名勝地(計画作成時点で想定できるもの) 原家・茂木家の邸宅跡地に新設された震災復興公園。西洋式・日本式庭園を備える。 1926(大正15)年一部開園。設計内 務省復興局。 ホテルニューグランド本館 市認定 近代建築 横浜を離れた外国人を呼び戻すため、震災後の復興事業の一環で 1927(昭和2)年に設立されたホテル。国内でも希少な クラシックホテルであり、マッカーサーやベーブ・ルースが宿泊したことでも有名。設計は渡辺仁。 横浜情報文化センター(旧横浜商工奨励館) 市認定 近代建築 震災後に横浜の商工業界の復興を目指して設立され、商工業製品の展示場や商工会議所として使われた。横浜市の設計で1929 (昭和4)年に竣工、 2000(平成12)年に横浜情報文化センター増築にあたり一部保存。 旧横浜市外電話局 市認定 近代建築 1923(大正1 2)年竣工予定であった横浜中央電話局が震災で被災し再建されたものでタイルや大オーダー等が特徴。設計は 横浜生まれの逓信技師の中山広吉。 1929(昭和4)年竣工。現横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館。 打越橋 市認定 土木産業遺構 関東大震災後の復興事業として架けられた復興橋梁の1つ。市道(横浜駅根岸線)と立体交差する跨道橋。 1928(昭和3)年 竣工。設計横浜市土木局。 谷戸橋 市認定 土木産業遺構 関東大震災後の復興事業として架けられた復興橋梁の1つ。 1927(昭和2)年竣工。設計横浜市土木局。 中澤高枝邸 市認定 西洋館 東急東横線日吉駅周辺の郊外住宅地に立つ洋風住宅。施主は外国航路客船の船員で日本郵船の客船浅間丸の機関長を務めた という。 1933(昭和8)年竣工。 インド水塔 市認定 近代建築 関東大震災時の救済への感謝の意として、インド商会組合から横浜市に寄贈された水塔。山下公園内に所在。 1939(昭和14) 年竣工。設計鷲巣昌。 神奈川県立図書館・音楽堂 県指定 建造物 戦後まもない物資の乏しい時期に建設された公共文化施設。戦後モダニズム建築の最初期の代表作。設計前川國男。 1954(昭和29)年竣工。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 まちづくり等と連携した取組が必要。 方針 1923(大正12)年の関東大震災と1945(昭和20)年の横浜大空襲の二度にわたる災禍から復興を遂げた歴史を、市民や来街者 にわかりやすく伝えます。 歴史を生かしたまちづくり等と連携し、歴史的な景観形成、魅力の維持向上を進めます。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 8-1(再) 歴史を生かした都市空間の形成 歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史的建造物に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整 を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。 主体 行政 実施期間 R6から11 8-5(再) 重点取組、震災復興橋梁の保全 1923(大正12)年の関東大震災後、復興の礎として架けられた橋梁の文化財的価値を考慮し、計画的に保全していきます。 主体 行政 実施期間 R6から11 8-6(再) 遊休不動産の創造的活用(芸術不動産) 主に関内・関外地区の遊休不動産のオーナーの方々と協働し、民設民営型の活動拠点を創造する芸術不動産事業を進めます。 また、 2022(令和4)年3月に改定した「芸術不動産ガイドブック」等により、遊休不動産の魅力的な活用事例を伝えます。 主体 団体 参画 団体、行政 実施期間 R6から11 11-3-7 関連文化財群を活用した情報発信、広報 「焼け跡から二度よみがえった都市」に関連する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財に ついての普及啓発と情報発信を進めます。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11(新) ■8 谷戸・里山と横浜の原風景 ストーリー 市域には、「谷戸」と呼ばれる丘陵地が複雑に入り組んだ地形が多くみられます。谷戸では古くから農業が営まれ、地形を 生かした水田や農業用のため池及び水路がつくられてきました。 丘陵地を覆う竹林や雑木林は、肥料、燃料、生活用品を生産する場として活用され、人々が谷戸の環境と密接に関わりながら 生活をし、多様な生き物が生育・生息する環境が生まれました。このような人と自然が関わる谷戸の環境は、「里山(里地 里山)」と呼ばれ、谷戸の織り成す里山景観は横浜の魅力の1つとなっています。 現在は、生活様式の変化や、都市化によって、旧来の里山の多くは姿を消していますが、市内に残る里山は土地所有者や様々 な市民活動によって支えられ、横浜の歴史文化を伝える貴重な環境となっています。 また、市内各所には、人々が暮らしてきた民家や、人々が使ってきた生活用具も伝えられています。 ・かつての暮らしと自然環境 谷戸・里山の景観 市域には、市街地に身近な農地がある景観、樹林地と田や畑が一体となった谷戸景観など、多様な農景観が広がっています。 青葉区の寺家ふるさと村・寺家ふるさとの森や、戸塚区の舞岡ふるさと村・舞岡ふるさとの森・舞岡公園、新治市民の森・ 新治里山公園をはじめ、里山景観が残る地域があり、こうした空間は、生物多様性を保全するだけでなく、横浜の魅力的な 景観の1つとして、市民生活に潤いをもたらす場にもなっています。 谷戸田の稲作を支える湧水やため池、小川は、様々な生き物が生息する場所であり、かつて生息していたミヤコタナゴは 国の天然記念物として保護をしています。また、生物の多様性を伝える場所として各所で市民によって環境の保全が進められ、 旭区のこども自然公園に生息しているゲンジボタルは、その生息地とともに横浜市の天然記念物に指定されています。 ・横浜の民家と民具 市域には、昔の暮らしを伝える民家や民具も多く残っています。約400年前に建てられた東日本で現存する最古級の民家と いわれている関家住宅は、附属する建物のほか、周囲の山林や墓地、屋敷林などの敷地を含め、景観とともに国重要文化財に 指定されています。また、江戸時代中期から近代にかけての多様な民家が市内で保存・活用されています。 横浜市歴史博物館には、火打ち石やツケギ等の発火具から、江戸時代のろうそくや灯明皿、明治時代のガス灯やランプ、 そして電球に至るまで、あかりの変遷を伝える灯火具コレクション(市指定文化財)があります。同館の港北ニュータウン 民俗資料や市内の学校資料館、横浜市八聖殿郷土資料館等にある民具は、農具や漁具をはじめ、衣食住等の様々な生活用具で 構成され、谷戸と里山、海辺など、市域で営まれたかつての暮らしを現在に伝えています。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 寺家ふるさと村・寺家ふるさと村の森 横浜ふるさと村 1983(昭和5 8)年に「横浜ふるさと村」に指定。青葉区寺家町の里山と谷戸の水田、ため池等を生かして整備された。 横浜の原風景と言える自然環境と農業の振興を進めている。 舞岡ふるさと村・舞岡ふるさとの森・舞岡公園 横浜ふるさと村 1990(平成2)年に「横浜ふるさと村」に指定。戸塚区舞岡の里山と谷戸の景観を保全するとともに、農業の振興、自然環境 保護が進められている。舞岡公園内には戸塚区品濃町にあった「旧金子家住宅」(市認定)が移築され、活用されている。 旧金子家住宅主屋 市認定 古民家 土台がすべてにまわり、整形四ツ間取りの明治後期の典型的な民家。戸塚区品濃町から舞岡公園内に移築復元され、農家の 原風景的景観を醸し出している。 新治市民の森・新治里山公園 市民の森 緑区新治町の里山と谷戸を生かし、豊かな植生の保護や景観保全が進められている。新治里山公園内には、旧奥津家長屋門 並びに土蔵(市認定)が所在し、主屋とともに活用されている。 旧奥津家長屋門並びに土蔵 市認定 古民家 新治市民の森の北側に位置し、今でも里山の生活風景をよくとどめている。奥津氏が名主を勤めていた江戸末期に建てられた 長屋門は当時の特徴である収納的機能を高めた形態をしている。 ミヤコタナゴ 国指定 天然記念物(動物) 関東地方の一部に生息する日本固有種で、湧水を水源とする小河川や池に棲む。市内では絶滅したものとされていたが、 1976(昭和51)年に都筑区勝田町で発見され、現在保護増殖を行っている。 こども自然公園のゲンジボタル及びその生息地 市指定 天然記念物(動物) 日本固有の大型のホタルで、幼虫は水中に棲む。かつては市内各地で見られた。こども自然公園のゲンジボタルと生息地を 市の天然記念物として指定している。 関家住宅 国指定 建造物 関家は勝田村の名主や代官を務めた。主屋は東日本でも最古級。主屋、書院、長屋門のほか、周囲の敷地も指定され、 景観保全がなされている。 旧長沢家住宅主屋及び馬屋 市指定 一般建造物 江戸時代中期に用いられた広間型の間取りを持つ牛久保村の名主の住宅で、18世紀後半の建築と推定される。 飯田家住宅 市指定 一般建造物 飯田家は北綱島村の名主を務めた。主屋は1889(明治22)年、長屋門は江戸時代後期の建築である。南側に山を配し、周囲に 濠をめぐらせた屋敷構えを持つ。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 かつての生活や自然を身近に感じる機会の創出が必要。 方針 緑豊かな自然環境の中で営まれてきた暮らしをわかりやすく伝えます。 昔のくらしや自然に触れる機会を創出し、学びの充実、地域の歴史文化への理解や愛着の醸成につなげます。 生き物の生息・生育環境の保全のほか、歴史文化、景観などの観点からも貴重な谷戸環境の保全を進めます。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 1-4(再) 国天然記念物ミヤコタナゴ保護育成(個体数調査、生育環境調査等の実施) 国指定天然記念物ミヤコタナゴの個体数減少を防ぐため、保護・増殖を行うとともに、野生復帰を目的とした生育環境調査を 実施します。 主体 専門、行政 参画 専門、市民、行政 実施期間 R6から11 6-3-2 文化財を活用した学校教育への支援 地域に残る昔の民具等を活用し、子どもが地域の歴史文化を身近に感じ、学ぶ機会を創出します。 主体 行政 参画 専門、団体、教育 実施期間 R6から11 8-1(再) 歴史を生かした都市空間の形成 歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史的建造物に光をあてた都市空間の形成に係る総合調整 を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。 主体 行政 実施期間 R6から11 8-2(再) 谷戸の原風景の保全 ふるさと村、舞岡公園、新治里山公園を良好に維持し景観の保全を進めます。 主体 所有、団体、行政 参画 所有、市民 実施期間 R6から11 8-4-3 公園内における歴史的建造物の公開・活用 古民家を、民間の活力を活用しながら公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる機会を創出します。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 11-3-8 関連文化財群を活用した情報発信、広報 「谷戸・里山と横浜の原風景」に関連する文化財をストーリーとともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての 普及啓発と情報発信を進めます。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11(新) ■9 地域が育む祭礼・行事 ストーリー 自然は豊作や大漁といった恵みを与えてくれる一方、時には大雨や日照り、大風などの厄災をもたらします。人々は神や仏に 豊作や大漁、平穏無事を祈り、また災い除けや厄除けを願い、祭礼や行事を行ってきました。一年の農作物や天候を占う筒粥、 厄災を海に流すお馬流しや祇園舟、歌に合わせて踊る厄災除けのお札まきなど、横浜市域には里に、海に、また街に、様々な 祭礼や行事が伝えられています。神に奉納する神楽や豊作を祈る田祭りなど、神仏への祈願から誕生した様々な芸能は、人々 を結びつけ、楽しませました。祈願や信仰が起源となる遊びや、信仰から生まれた行事も、暮らしの中に位置付けられてきま した。 また、神社や寺院は神や仏を敬う人々にとって特別な場所でした。時代を越えて受け継がれてきたその意識は、境内の自然を 長い間守り、保護することにつながり、市内には樹齢が数百年に及ぶ古木や、自然の姿を残す樹叢が伝えられています。 ・祭礼と行事 地域の厄災を海に流す中区本牧神社のお馬流しや金沢区富岡八幡宮の祇園舟は、東京湾が舞台となる漁師の祭りです。 鶴見区生麦の蛇も蚊もは、かつては厄災を茅でつくった蛇に託して海に流しました。厄災を塞ぐため藁蛇を村境にかける 港北区新羽町の注連引しめびき百万遍、ひゃくまんべん稲の害虫を村の外に追い払う都筑区南山田の虫送りなど、人々が 厄や災いをいかに厭うかが伝わります。27種類の作物の一年間の豊凶を占う師岡熊野神社の筒粥、開運招福を願う人で 賑わう南区大鷲神社の酉の市、また家々を廻る地蔵に子どもの成長や平穏を祈る鶴見川流域の廻り地蔵や下飯田の廻り地蔵、 喘息などの咳除けを祈るオシャモジサマなど、豊年や平穏無事、病気の治療も人々の願いでした。 ・芸能と遊び 大釜に煮えたお湯で吉兆を占い、厄災を祓う湯立と神楽が結びついた金沢区瀬戸神社の湯立神楽は、祈祷の要素が表れた 厳かな所作で進められます。日本神話を題材にした神代神楽は3社中が継承し、華やかな仮面の黙劇が見る者を楽しませます。 東日本に分布する一人立三頭獅子舞は青葉区牛込の獅子舞や鉄の獅子舞として伝わるほか、お正月に親しまれている獅子舞も、 お囃子とともに市内各地に伝わっています。ホンチ(くも合戦)は黒潮によって伝播した漁師の豊漁祈願という説があります。 街頭紙芝居の源流は中世に盛んであった仏教説話画の絵解きです。庚申講や地神講などの信仰は、共同飲食を伴うお日待ちが 人々のつながりを高める娯楽の場でもありました。 ・古木と樹叢 戸塚区の永勝寺にあるイヌマキは、横浜市で最も古い樹齢1,050年の古木です。瀬谷区日枝社の御神木であるケヤキは 樹齢300年以上とされ、自然の樹形を保ってきました。また、久良岐山と呼ばれる南区宝生寺・弘誓院の寺林や日野中央公園 の樹叢と一体をなす港南区春日神社の社叢林など、市街地化が進む中でも、神仏を敬う人々の意識によって貴重な自然林や 樹叢が残されてきました。 ストーリーを構成する文化財の分布 地図を掲載 主な文化財 名称、区分、種別、概要の順で記載 師岡熊野神社の筒粥 市指定 無形民俗 師岡熊野神社に伝わる粥を用いた年占で1月14日に行われる。早朝境内に据えた大釜に2 7本の葭の筒と米一升で粥を炊き、 筒に入った粥の分量で豊凶を見る。 お馬流し 県指定 無形民俗 8月上旬の土日に本牧神社で行われる。茅製で馬首亀体のお馬6体に旧本牧6か村の厄災を託し、東京湾に流す。2艘の 木造祭礼船は厄災から逃れるように競争で戻る。 祇園船 市指定 無形民俗 7月15日前後の日曜日に富岡八幡宮で行われ、青茅の舟に厄災を託し、東京 湾の沖合に流す。麦秋の時期、初穂の麦を海に 供え、五穀豊穣と豊漁に感謝する。 お札まき 市指定 無形民俗 7月14日に戸塚町八坂神社の夏の例祭に行われる。歌に合わせて踊り、渋うちわで五色のお札を天高くまきあげる。 蛇も蚊も 市指定 無形民俗 6月第1日曜日に生麦地区の原にある神明社と本宮にある道念稲荷社で行われる。「蛇も蚊も出たけ、日よりの雨け」 と唱えながら、村中を回り、厄災除けと豊年大漁を祈願した。 鶴見川流域の廻り地蔵 市指定 無形民俗 一体の地蔵を地域の家から家へ順番に回し、各家で祀る行事。家での滞在期間は1週間から3年と、地区により違いがある。 港北区新羽町三谷戸、都筑区池辺町薮根、同町八所谷戸、緑区白山で行われている。 湯立神楽 市指定 無形民俗 瀬戸神社天王祭の3日目にあたる7月第2火曜日に行われ、瀬戸神社では「三つ目神楽」と呼ぶ。大釜に煮えたお湯で厄災を 祓う湯立と、祈祷の要素が表れた厳かな所作の神楽が奉納される。 牛込の獅子舞 県指定 無形民俗 青葉区あざみ野の神明社と新石川の驚神社で10月上旬の土日に行われる一人立三頭獅子舞。元禄年間に疫病流行の際 伝えられたといわれている。 春日神社の社叢林 市指定 天然記念物(植物) 神社の裏山には馬蹄形にみえる照葉樹林が発達。横浜市内に残された郷土樹林、すなわち斜面、 急斜面地の照葉樹林の典型的な樹林。 街頭紙芝居 附舞台・拍子木  市指定 有形民俗 昭和30年代まで盛んであった子どもたちの娯楽の1つ。舞台を載せた自転車で、子どもに駄菓子等を売りながら、空き地や 広場などを移動して演じられていた。横浜市歴史博物館保管。 関連文化財群に関連する課題と方針 課題 個々の文化財をストーリーで関連づけ、わかりやすく伝えきれていない。 高齢化や社会状況の変化に伴う担い手不足、活動の機会の減少。 人から人へと伝えられるという無形の民俗文化財の性質上、一度途切れると継承が難しくなる。 方針 各地域で受け継がれてきた祭礼や行事を、関連する樹叢などとともにわかりやすく伝えます。 無形民俗文化財保護団体への支援や現況調査、指定等文化財の巡回調査等を進め、地域で育まれた歴史文化を次世代に継承 します。 関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。 番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 1-2-1 重点取組、無形民俗文化財保護団体の現況調査 地域に結びつきのある民俗芸能を継承し、後継者の育成等の保存継承に熱意のある団体を「認定団体」として選定し、 必要な支援を行います。また、活動の機会が減少し、継承が困難な状況にある無形の民俗文化財保護団体の現況調査を 進めます。 主体 専門、行政 参画 団体 実施期間 R6から11 1-3(再) 指定等文化財の巡回調査 指定等文化財の現況を把握するため、巡回調査を行います。 主体 専門、行政 参画 所有 実施期間 R6から11 11-3-9 関連文化財群を活用した情報発信、広報 地域で受け継がれてきた祭礼・行事を、関連する自然林や樹叢とともにわかりやすく伝え、市域の様々な文化財についての 普及啓発と情報発信を進めます。 主体 行政 参画 所有、団体 実施期間 R6から11(新) 3節 文化財保存活用区域 1 文化財保存活用区域の目的 文化財保存活用区域とは、文化財が特定の地区に集中している場合に、その周辺環境を含め、当該文化財を核として文化的 な空間を創出するための計画区域です。本計画では、文化財保存活用区域を設定し、次の(1)から(2)を設定の目的とします。 (1)区域内の文化財について、特性をふまえつつ、それらの積極的な活用に向けた取組の検討を行います。 (2)区域内の文化財所有者や諸団体などの市民、庁内関係者等との連携強化を図り、必要な取組を行うことができる体制構築を  目指します。 2 文化財保存活用区域の設定の考え方 次の(1)から(3)を満たすものを文化財保存活用区域として設定します。 (1)横浜固有の歴史文化を物語る指定等文化財や歴史を生かしたまちづくり要綱に基づく認定歴史的建造物が近隣に集積して 存在し、一体で歴史的景観を形成するとともに、市民がそれらに触れるための仕組み(案内、ガイダンス施設等)が機能 していること。 (2)区域内に存する文化財のうち、少なくとも1つ以上が一般に公開されている、若しくは公共的な利用が行われていること。 (3)文化財の活用、調査、保存保全等を担い活動する団体・企業等が複数存在すること。 3 本計画で設定する区域 文化財保存活用区域の目的及びその設定の考え方をふまえ、4つの区域を「文化財保存活用区域」として設定します。 1 関内区域  2 山手区域  3 三溪園区域  4 称名寺・朝夷奈区域 1 関内区域 概要 関内区域は、幕末期の開港により、近代日本の経済や流通の中心となり、震災や戦災等の困難を乗り越えてきた歴史を伝える 建造物が多く所在しています。その一部は、行政庁舎や賑わい創出の拠点などに活用され、良好な景観が残されています。 関内区域は、日米修好通商条約によって1859(安政6)年に設置された開港場の中心地区です。開港場の警備のため、周囲を 河川と水路で囲い、橋に関門(関所の一種)を設けたことから、この区域を「関内」と呼ぶようになりました。 開港後、横浜は国際性を有する近代都市として発展し、経済・文化の中心地として多くの人々が行き交いました。外国の文化 を日本でいち早く取り入れたことから、アイスクリーム、ビール、ガス灯等横浜発祥といわれるものが数多くあります。 その後、関東大震災や横浜大空襲によって多くの街並みが失われましたが、復興にかける人々の熱意のもと、その都度、復興 を果たしてきました。その過程で形成された都市基盤や、戦前からの歴史的建造物が、関内区域の街並みを特徴付けています。 特に、関東大震災によって焼失・再建された経緯を有する神奈川県庁舎(国指定)、横浜税関本関庁舎(市認定)、また 関東大震災で倒壊を免れた横浜市開港記念会館(旧開港記念横浜会館、国指定) は、「キングの塔」、「クイーンの塔」、 「ジャックの塔」と呼ばれ、「横浜三塔」として親しまれています。横浜第二合同庁舎(旧横浜生糸検査所、市認定)、 赤レンガ倉庫(市認定)等と合わせて、震災や戦災をくぐり抜けた歴史的建造物が今現在も活用されています。 図6-4 日米和親条約締結の碑(再掲)の写真 図6-5 旧横浜正金銀行本店本館(再掲)の写真 図6-6 神奈川県庁舎の写真 図6-7 横浜税関本関庁舎の写真 図6-8 横浜市開港記念会館(再掲)の写真 ・関内区域 文化財MAP 地図を掲載 ・課題 近代建築や土木産業遺構に代表される歴史的建造物の減少に伴い、保全が必要。 歴史的建造物の積極的な活用及び普及啓発を通じた地区の魅力向上が必要。 ・方針 策定検討中の歴史的風致維持向上計画において重点区域に位置付け、地区全体の歴史を生かしたまちづくりの方針検討を行う。 居留地文化や二度の被災からの復興といった複合的な歴史に紐づく歴史的建造物の保全を行う。 歴史的景観の保全や景観計画との連携を図り、地区の一体的な景観形成を推進する。 歴史的建造物の個性や地域特性を生かして活用し、エリア一体の魅力向上、市民に身近な文化芸術創造都市を推進する。 ・関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。  番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 8-6(再) 遊休不動産の創造的活用(芸術不動産) 主に関内・関外地区の遊休不動産のオーナーの方々と協働し、民設民営型の活動拠点を創造する芸術不動産事業を進めます。 また、 2022(令和4)年3月に改定した「芸術不動産ガイドブック」等により、遊休不動産の魅力的な活用事例を伝えます。 主体 団体 参画 団体、行政 実施期間 R6から11 8-7(再) 創造界隈拠点としての活用 関内・関外地区をはじめとする都心臨海部の歴史的建造物等を活用し、まちの賑わいづくりを進めます。 主体 団体、行政 参画 市民、団体 実施期間 R6から11 8-8(再) 重点取組、歴史的風致維持向上計画の策定検討 横浜の歴史を生かしたまちづくりの推進に向け、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律に基づき、 「歴史的風致維持向上計画」の策定を検討します。 主体 行政 実施期間 R6から11(新) 10-1(再) 重点取組、横浜開港資料館における文化観光拠点としての機能強化 日米和親条約締結の地に立地し、約27万点の資料を収蔵する横浜開港資料館において、隣接する大桟橋、山下公園、 元町・中華街などの集客施設等と連携し、文化観光拠点としての機能強化を一層進め、「歴史文化」を観光資源として 定着させることを目指します。 主体 団体 参画 団体、行政 実施期間 R6から11 2 山手区域 概要 山手地区は、旧外国人居留地としての国際性が今なお色濃く残されており、本市では、それらを形成する西洋館や外国人墓地 などの歴史的資産を保全及び活用したまちづくりを進めています。異国情緒を感じる景観や開港以来の文化が継承され、横浜 を代表する住宅・文教地区であり、この良好な環境は市民に広く親しまれています。 山手区域は、1867(慶応3)年に外国人居留地として開設されました。港や市街地を一望する丘陵地に位置し、居留外国人の 住宅地として整備されたことで異国情緒漂う街並みが形成されてきました。斜面地や公園、歩道沿いの生垣、家々の庭等、 各所に残された多くの緑が、かつての人々の暮らしを伝えています。日本初の洋式公園である山手公園は、1870(明治3)年 に居留外国人によってつくられた外国人専用の公園で、テニス発祥の地となったほか、国内で初めてヒマラヤスギが植えられ ました。日本における西洋風の近代スポーツ・レジャーの原点とも言えるこの公園は、開国とともに日本に暮らした外国人達 の生活様式と洋式公園として造作された風致景観が一体となって調和しているのが特徴的であり、2004(平成16)年に国の 名勝に指定されました。 また、関東大震災以降に建設されたミッションスクール校舎やキリスト教会堂、外国人住宅等の歴史的な建造物も残って います。山手資料館には、居留地時代や関東大震災までの横浜や山手に関する資料が展示されています。 その他、関東大震災で倒壊後、再建された戦前のキリスト教会堂であるカトリック山手教会や、港の見える丘公園内の 山手111番館(市指定)、横浜市イギリス館(旧イギリス総領事公邸、市指定)のほか、山手イタリア山庭園には外国人住宅 「ブラフ18番館」(市認定)、東京都渋谷区から移築した塔屋付西洋館「外交官の家」(国指定)など、個性あふれる 歴史的建造物が歴史的な街並みを形成しています。 図6-9 日本最初の洋式公園(山手公園)の写真 図6-10 山手111番館の写真 ・山手区域 文化財MAP 地図を掲載 ・課題 西洋館に代表される歴史的建造物の減少に伴い、保全が必要。 地区の良好な景観の維持及び形成が必要。 住宅地としての質・環境と共存した歴史的建造物の活用が必要。 ・方針 策定検討中の歴史的風致維持向上計画において重点区域に位置付け、地区全体の歴史を生かしたまちづくりの方針検討を行う。 西洋館に代表される歴史的建造物を極力保全し、山手ならではの魅力を維持・向上する。 歴史的景観の保全や景観計画との連携を図り、地区の一体的な景観形成を推進する。 西洋館等を多様な主体と連携して活用し、エリアとしての魅力向上を図る。 ・関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。  番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 8-1(再)歴史を生かした都市空間の形成 歴史を生かしたまちづくり要綱や景観制度の運用等を通じ、地域の歴史的建造物に光をあてた都市空間 の形成に係る総合調整を行い、個性と魅力ある都市空間の形成を目指します。 主体 行政 実施期間 R6から11 8-4-2 公園内における歴史的建造物の公開・活用 西洋館などの歴史的建造物を、民間の活力を活用しながら公園内で公開し、公園の魅力とともに、地域の歴史や自然を感じる 機会を創出します。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 8-8(再)重点取組、歴史的風致維持向上計画の策定検討 横浜の歴史を生かしたまちづくりの推進に向け、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律 に基づき、「歴史的風致維持向上計画」の策定を検討します。 主体 行政 実施期間 R6から11(新) 3 三溪園区域 概要 三溪園は、横浜市中区本牧三之谷に位置し、明治末から大正末にかけて実業家・原富太郎(三溪)によって造られた庭園です。 私庭でありながら1906(明治39)年からその敷地の一部を一般市民に公開するなど、地域に開かれた存在でした。戦後、 原家から横浜市への寄附の申し出をきっかけに、三溪園を維持管理するために「財団法人(現在:公益財団法人)三溪園 保勝会」が設立され、財団所有のもと、管理運営、公開を行っています。 三溪園の敷地は、富太郎の養祖父・原善三郎が明治初年頃に購入した本牧にある谷戸で、その広さは約175,000・にも及びます。 自らも茶人・美術品収集家であり、書画や漢詩を嗜んだ富太郎は、京都をはじめ様々な地域から歴史的建造物を集め、この 敷地に移築しました。庭園としての景観上の調和に配慮しながら設計・配置されており、優れた近代和風庭園となっています。 移築された歴史的建造物の中には荒廃して滅失の危機に晒されていたものも含まれており、この点において歴史的建造物の保存 に大いに貢献しました。 建造物自体の価値が認められて、園内にある歴史的建造物17棟のうち、10件が国重要文化財に、3件が横浜市指定有形文化財に 指定されている点は特筆すべきと言えるでしょう。これら歴史的建造物とランドスケープデザインとの調和、歴史的な観点と 芸術的な観点が見事に融合した庭園となっています。そしてその優れた価値が認められて、2007(平成19)年に国の名勝に 指定されました。 富太郎は、製糸業・生糸貿易で大いに財をなした大実業家でしたが、その財力を生かし、三溪園の歴史的建造物のほか、 仏画や茶道具などの古美術を多く収集しました。多くの文化人と交流し、若い美術家たちを支援し育てたパトロンとしても、 日本近代美術史の興隆に大いに貢献しました。また関東大震災後には、横浜市復興会会長や横浜貿易復興会の理事長を務め、 私財を投じて地域や文化に貢献した人でもありました。 富太郎の膨大な古美術コレクションは、現在そのほとんどが三溪園を離れてしまいましたが、庭園と園内の歴史的建造物群は、 こうした富太郎の文化的・社会的貢献の高さを物語っており、ひとりの実業家による文化財保護の事例として重要です。 さらに歴史的建造物と庭園との一体的調和が醸し出す風致景観に優れた文化財としても重要です。 図6-11 三溪園外苑(再掲)の写真 図6-12 旧燈明寺三重塔(再掲)の写真 図6-13 木製多宝塔の写真 ・三溪園区域 文化財MAP 地図を掲載 ・課題 文化財や建造物等の修繕及び維持管理費の財源の確保が必要。 未指定の歴史的建造物に対する調査・評価が必要。 庭園や重要文化財等の活用が主に観覧に限定されており、新たな活用方法・形態に関する需要の高まりへの対応が必要。 ・方針 本市における歴史・文化財の保存・活用のあり方を伝える貴重な資源として、保全・情報発信を強化し将来の世代に確実に継承する。 未指定の歴史的建造物等の、文化財の指定・登録、歴史的建造物の認定等を推進する。 庭園や重要文化財等の観覧以外の機能を導入・強化し、観光資源として魅力を向上させ、国内外からの誘客を促進する。 ・関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。  番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 10-4-1 重点取組、重要文化財等の大規模修繕、耐震対策工事 大規模修繕、耐震対策工事等を計画的に実施します。(三溪園内の建造物の計画的修繕・耐震対策工事等 ) 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 10-4-2 重点取組、観光資源としての整備、機能強化 名勝や建造物を貴重な和の観光資源として整備し、機能強化を進めます。また、国内外に対して、三溪園の魅力や日本文化を積極的に 発信します。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 10-4-3 重点取組、三溪園における飲食・物販機能の拡充や新たな活用機能の導入 観光機能強化に伴う周辺環境への影響等を考慮した施設計画・運営方法を検討します。また、都市計画で定められた用途制限について、活用に 必要な緩和等を検討します。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 10-4-4 重点取組、文化財の学術調査、把握調査の充実 未指定の歴史的建造物等について、文化財の指定・登録、歴史的建造物の認定等を進めます。 主体 団体、行政 実施期間 R6から11 4 称名寺・朝夷奈区域 概要 国指定史跡である称名寺境内と朝夷奈切通を含む一帯は、古代・中世にかけて鎌倉と結びつきが強く、特に中世では、鎌倉に含まれて、その 東端に位置付けられました。称名寺境内と朝夷奈切通は、世界遺産の暫定一覧に掲載の「古都鎌倉の寺院・社寺ほか」を構成する文化遺産です。 ・中世の港湾都市「六浦」 六浦津は、東京湾に面して深く入り江が入り込んだ天然の良港で、中世には都市鎌倉の繁栄を支える物資を供給する湊として繁栄しました。 河川によって東京湾とつながる関東平野や、対岸の房総半島から集積された物資がここで陸揚げされ、朝夷奈切通などを経て鎌倉へもたら されました。また中国から直接船が着岸した伝承として「三艘(さんぞう)」という地名も残ります。この一帯には、古くからの寺社、史跡、 旧跡等が数多くみられ、往時の様子をうかがい知ることができます。 ・朝夷奈切通(国指定史跡) いわゆる「鎌倉七口」の1つで、現在の鎌倉市十二所と横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道です。『吾妻鏡』には1241(仁治2)年に執権 北条泰時が御家人たちを指揮して、道を造ったと記されています。南に広がる相模湾を除く三方を山に囲まれた鎌倉を陸路で結ぶ切通のうち、 この朝夷奈切通は、鎌倉と六浦津を結び、軍事的かつ、関東一円からの物資を運ぶ経済的に重要なルートになりました。 ・称名寺境内(国指定史跡) 鎌倉時代に執権を代々務めた北条氏の一族である金沢北条氏の実時によって創建された寺院です。金沢北条氏の菩提寺として受け継がれ、 実時の子孫によって伽藍や浄土庭園が整備されました。交通の要衝に位置し、多くの学僧や文人が行き交い、東国有数の学問寺として知られて いました。 また、境内の南側に広がる称名寺貝塚は、関東地方一円に分布する縄文時代後期初頭の土器型式「称名寺式」の標式遺跡として学術上有名です。 ・金沢文庫 鎌倉幕府執権の北条時頼から時宗の時代に権力の中枢にいた北条実時は、勉強家としても知られています。政治や法律・文学等に関わる書物を 収集して学び、それらを金沢の別邸に文庫(ふみくら)を作って保管したと考えられています。これが金沢文庫の始まりです。鎌倉幕府崩壊後、 金沢文庫の管理は称名寺に任され、次第に衰退して、蔵書も散逸しました。 その後1897(明治30)年には、初代内閣総理大臣・伊藤博文の肝いりで再興されましたが、関東大震災で大きな被害を受けました。 神奈川県立金沢文庫は、この由緒ある金沢文庫に起源をもち、 1930(昭和5)年に県立の機関として復興されました。歴史博物館として活動し、 所蔵する資料の多くは、金沢文庫・称名寺ゆかりの国宝をはじめとする文化財となっています。 図6-14 朝夷奈切通の写真 図6-15 称名寺境内の写真 図6-16 金沢文庫の写真 ・称名寺・朝夷奈区域 文化財MAP 地図を掲載 ・課題 史跡等において、 樹林の成長、自然的環境の変化による地形の崩壊や危険木等への対応が必要。 史跡等において、 歴史的価値が損なわれないような自然災害への対応、適切な管理・公開が必要。 区域内において、身近にある自然、歴史、文化等の地域の資源の活用促進が必要。 ・方針 称名寺、朝夷奈切通等において適切な管理や保護の取組を行い、自然と調和した歴史的な空間を保全する。 称名寺・朝夷奈区域内に所在する文化財について、多様な主体と連携し、歴史的価値の発信や、文化芸術活動の機会創出を推進する。 ・関連する取組※第5章に記載した取組のうち関連するものを掲載しています。  番号、取組、内容、実施主体、実施期間の順 4-3-2 重点取組、市内の史跡等の崖地対策工事等の実施 称名寺境内、朝夷奈切通、御伊勢山・権現山において、文化財的価値に配慮しながら、崖地の安全対策を計画的に進めます。 主体 行政 実施期間 R6から11 6-2-3 市内の史跡等の公開・管理 国史跡称名寺境内、上行寺東遺跡復元整備地の維持管理や必要な整備を行い、適切に公開します。 主体 行政 参画 団体 実施期間 R6から11 7-3-1 地域の文化財を活用したイベント等の実施、散策ルートの活用や案内板の整備 区域内の文化財を活用した散策ルートの活用や案内板の整備、称名寺のライトアップなどを行います。 主体 行政 実施期間 R6から11 9-1-1 文化財を活用した文化芸術活動 称名寺境内において、歴史文化の魅力を感じつつ、能や狂言の鑑賞などの古典芸能に親しむ機会を創出します。 主体 市民 参画 行政 実施期間 R6から11