No.267 広報よこはま港南区版 令和2年 1月号 6ページ 地域通信 私たちのまちの いまむかし 区制50周年特別企画 港南区の地場産業 第2回 横浜の食を支える 株式会社 八千代(やちよ)ポートリー  今月は、鶏卵・鶏卵加工品の販売などを行う株式会社八千代ポートリーの相談役 笠原節夫 さんにお話を聞きました。  八千代ポートリーの創業は昭和4年。創始者である父の利八(りはち)さんと母千代さんの 名前をとって「八千代」と名付けられました。現在の本社所在地(港南三丁目)に小さな 養鶏場を設立した時、周辺で暮らしていたのは約20世帯。その大半が鶏を飼って卵を出荷する 養鶏業を営んでいました。当時、卵は一般家庭ではめったに食べられない高級食材でしたが、 横浜には米軍施設があり多くの外国人が住んでいたこと、洋菓子店や洋食店、牛鍋屋など卵が 欠かせない食文化が育っていたことなどから、養鶏業が盛んに行われていました。  昭和40年代半ば、急激な人口増加により、養鶏業は転換を迫られ、廃業や転業が相次ぐように なります。そんな中、父利八さんが倒れ、学生だった笠原さんは大学を辞め、養鶏業を継ぐこと になりました。昭和45年に臭気や騒音などの問題を受け、生産農場を千葉県君津市に移転し、 54年にはその生産農場を「横浜ファーム」、販売部門を「八千代ポートリー」に分社します。 かつては貴重であった卵が、今や物価の優等生と言われるほど身近な食材になった背景には、 技術の進歩、設備の充実、鶏の品種改良など、生産者のたゆまぬ努力がありました。八千代 ポートリーでは、商品の企画、製造、販売、物流の一連業務を一本化することで、流通コスト を抑え安く消費者に届けるだけでなく、24時間以内の配送の実現により、高いクオリティーを 維持しています。  また、消費者のニーズに合わせた商品づくりにも力を注いでいます。例えば、サルモネラ汚染 の主要因とされる魚粉や肉骨粉などの動物性たんぱく原料を飼料から一切排除し、植物性飼料のみ で育った卵は、「卵が食べられない子どもたちにも良質なたんぱく質を取ってほしい」という 学校給食の要望から生まれたものです。  「最初は養鶏業が嫌でね」と言う笠原さん。しかし、「やるからには一番になれ」という恩師 の言葉が心に残っているそうで、「日本の市場に安全で安心な卵を供給したいという思いで50年間 やってきました。もっともっと増やしていきますよ」と、意欲的に話してくれました。